猫と過ごした17年。
その子が旅立ってからの1年間、私は何も感じないまま時間だけが過ぎていきました。
更年期の始まりとも重なり、心も体もボロボロでした。
「もう二度と動物は飼わない」と思っていた私が、再び小さな命を迎えるまでの記録です。
ペットロスの渦中にいる人、そして心が疲れた誰かに届けば嬉しいです。
17年、一緒だった子を失った日。
最後の瞬間、何もしてあげられませんでした。
手の温もりが消えた後、家の中から音がなくなりました。
私の世界がいきなり静止したみたいでした。
フワフワの柔らかい毛布を撫でて夢を見ました。
(フフ、この毛並みはあの子かな?)
(ここに来て寝てるのね)
目が覚める度に「あぁ、そうだ。あの子達はもういないんだ」
という現実を突きつけられる朝が度々ありました。
あの喪失感を、もう一度味わうくらいなら一人で良い。
私も年だし、もし新しい子を迎えてもどちらが長生き出来るか。
ペットロスの恐怖と、新しい命を迎えることへの罪悪感。
その狭間で、ずっと揺れていました。
その狭間で、ずっと揺れていました。
同時に、閉経も重なり、更年期の症状も出て来始め
眠れない、ふいに涙が出る。
休日はただぼんやり天井を見つめる日もありました。
ただ、「他の人に迷惑はかけられない」
カラ元気なのか、外では笑えていましたが、
帰った後の静けさに慣れない時間がずっと続いていました。
そんなある日、幼馴染に会い、LINEが届きました。
「子猫いらない?」
正直悩みました。
動物は飼わない、そう決めた私と、
また一緒に暮らしたい、そう望む私がせめぎ合いました。
写真に写る子猫。
「見るだけ見に来てよ!いつでも良いから!」
見るだけ…見るだけ…
そう思いながら手土産を買いました。
あの子達が居なくなってから寄り付かなかったペットコーナー。
少し、楽しかったのを覚えています。
友達の家へ行き、実物の子猫を見て
私の膝の上に乗ってきた子猫を撫でた時
あぁ…ダメだ。
「連れて帰るよ」
ただ、家の中には猫を思い出す物は全て捨ててしまっていたので
準備が必要。
「ちょっと用意があるから。それまで待ってて」
子猫の為の買い物。
新しい家族を迎える買い物。
新しいベッド、トイレ、爪とぎ。
ひとつずつ買い揃えるたびに、心が少しずつ動いていくのを感じました。
ひとつずつ買い揃えるたびに、心が少しずつ動いていくのを感じました。
全てを揃えて迎えに行き、
幼馴染の家から私の家へ。
大丈夫かな、慣れてくれるかな。
そんな不安を吹き飛ばすようにすぐに家に慣れてくれた子猫。
名前は『福恵(ふくえ)』
「福に恵まれますように」という願いを込めて。
「福に恵まれますように」という願いを込めて。
朝「おはよう」と言える日常。
夜「ただいま」と言える幸せ。
あの頃が戻ってきた。
性格は全然違って戸惑う事も多々ありました。
朝ご飯の支度をして、ふくの毛を撫でて、今日も生きてると感じる。
ねこじゃらしを「取って来ーい」をする事を見てびっくりしたり。
好き嫌いの激しさに戸惑ったり。
でも、膝の上が好きで無理矢理乗って来たり。
でも、抱っこは嫌い。
「もう動物は飼わない」は「また一緒に生きよう」に変わりました。
悲しみは消えません。でも、優しい思い出に形が変わりました。
今は、ふくと過ごす毎日を大切にしています。
今、同じように苦しむ人へ伝えたい事。
ペットロスは“終わる”ものではなく、“形を変える”もの
忘れる事なんて出来ません。
でも、悲しみは少しずつ、少しずつ“思い出”に変わっていく。
その変化が、心の回復なんだと思います。
癒しのきっかけは、人それぞれでいい。
新しい命かもしれないし、趣味、旅、仕事かもしれない。
どんな形でも、自分のペースで前を向ければそれで良いと思います。
また、笑える日が必ず来ます。
私もそうでしたから。
今、この文章を読んでくれているあなたにも、必ずそんな日が来ると思います。
ペットロス、更年期、孤独――全部が重なっても、
「もう一度、誰かを愛せる」という希望は残っていました。
そして、ふくがそれを思い出させてくれた。
私にとって、ふくは“再生”の象徴です。
そして今日も、膝の上でその温もりを感じています。




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